国鉄時代の名所中の名所、碓氷峠越えが長野新幹線の開業によって廃止となったのが1997年9月30日、はや11年が経ちました。
その日私はまだ転勤先の兵庫県に住んでおりましたので、最期を見届けることが出来ませんでしたが、会社の保養所が軽井沢にあることもあって、家族ともどもよく出かけました。そんな思い出の地でもあります。
最大斜度66.7‰、列車にとって断崖絶壁に等しいこの峠を越えて日本海側を目指す信越本線ですが、信越本線の歴史は碓氷峠の旧勾配との闘いであったとも言えるでしょう。
この区間の主役はなんといってもEF63。坂を登る列車を押し上げ、坂を下る列車の暴走を防ぐ力持ちです。必ず横川側に2両単位で、ここを通る全ての列車に連結されます。

横川名物「峠の釜飯」
横川駅では機関車付け替えのため列車が長く停車します。その時間を利用してホームで売り子さんが売り歩くんですな。
列車が発車するとき、販売店の「おぎのや」さんの皆さんが、一列に並んで「いってらっしゃい、ありがとうございました」と列車に向かって一礼する風景も、この駅の風物詩でした。
碓氷鉄道文化むらに残る横川駅列車時刻表。エース「あさま」の運転本数の多さが目を引きます。
「白山」「そよかぜ」「妙高」「能登」など、この峠道とは切っても切れない愛称が並びます。
本務機を勤めたEF62は3軸のC-C配列の台車が特徴的でしたが、既に全廃されてしまいました。
峠のシェルパ、EF63らしい装備の一つが、この電磁吸着式ブレーキ。 ミッションの自動車運転免許をお持ちの方ならおわかりでしょうが、坂道などで停車した場合に使用するサイドブレーキと同じ役割です。
このブレーキシステムに電流を流すことによりレールと磁気によって密着するという装備です。
ロクサンの対勾配装備を見ているだけで、いかに碓氷峠が過酷なものであったかがわかります。
軽井沢駅に着くと今度はEF63の切り離し作業でまたまた停車、これもここでは名物で、列車を降りた乗客が切り離し作業を見ようとホーム端に集まってきます。
EF63は電車・貨客車共通の補機であることから、密連式と自動開放式を兼ね備えた双頭連結器を装備しております。
写真では密連型はあさまに連結中、こちら側を向いて自動開放式の形状が見てとれます。
碓氷峠の主役、EF63は今1号機が碓氷鉄道文化むらに、2号機が軽井沢駅舎記念館にそれぞれ静態保存されています。
軽井沢の車両はぴかぴかに磨きあげられて、協調運転の象徴、ジャンパ栓や双頭連結器も往時のままです。
また、碓氷鉄道文化むらでは11・12・24・25号機が、750Vに降圧されはしましたが動態保存されていて、一般のお客さんも講習を受ければ運転できることになっています。
人気の高かったロクサンですが、これだけの保存車両があるということは幸せな結末なんでしょうね。
長い人生後悔はつき物ですが、碓氷峠の最後に立ち会えなかったことと
地元の黄色い201系の写真が一枚もないことが今のところ鉄に関する後悔上位です。

最近のコメント